2010年5月16日日曜日

速読なんてするもんじゃない



本を読む意味って何でしょう。本を読む目的と言った方が正確ですね。


「人生を豊かにする為」がアブストラクトではありますが、シンプル且つ包括的な答えだと思います。


本から得た知識を理解し、理論を実践してより深い理解……習慣や無意識の行動レベルまで浸透させたり、実利を得られれば目的を達成したと言えるでしょう。





多くの速読術には速読が適する本と適さない本が明示されていると思います。


いわゆるハウツー本やトレンディなもの、データベース的な意味合いの強いものは速読が適している。


哲学的、学術的、物語的な側面があるものは適していない などです。


つまり本をティーチングとして役立てるのであれば速読、コーチングとして役立てるのであれば速読はしないという感じでしょうか。





うん。確かに私も結果論からすればそう読んでいるかもしれません。しかし、最初からこの観点で速読するか否かを判別する事は危険だと思います。


仕事柄、技術書やホワイトペーパから素早く情報を引き出す必要がある場合は自然と速読しています。


IT・Webサービスという、兎に角『スピード!スピード!スピード!』とか『コスト!コスト!コスト』な世界で働いていますので速読の価値は理解しているつもりです。


正確さよりも素早さを重視されるのです。遅ければ綺麗でも正確でも有用でも素晴らしくても画期的でも無意味な世界です。





でも待って下さい。速読すべき本って、そもそも読む必要あるんでしょうか?


データを引っ張りたいなら検索すればいいんじゃないですか?人間の1億倍の速さで処理してくれるCPUにお願いした方がいいですよね?


プログラムの意味を解釈する為に1文字1文字ゆっくり読む時もありますし、特定の情報が得たいときは特定のワードで検索する時もあります。


紙媒体である以上、辞書やタウンページにしても読む必要ってあるんでしょうか?


僕たちにしか出来ないのは意味を解釈し、現実に起こっている問題の解決の材料とする事です。


読むのと同じ速度で吟味し、仮定し、横展開し、発展させ、様々なケースを考え、類似例と照らし合わせ、過去や未来を想像する事が出来るのでしょうか?


もしかしたら僕が馬鹿なだけかもしれませんが、僕には無理です。


本を読んでいて途中から興味がなくなっても、もしかしたら僕には価値が理解出来ていない、理解する能力がまだ無い可能性が高い気がするのです。


速読でいいやと判断した根拠は?自分が無知である前提があっても?99.99%二度とこの本を読む可能性は無いのに?


なるべく無駄な時間を使いたくないので、なるべく取りこぼしを少なくしたいんです。





先日『ビジネスインサイト』という本を読みました。


正直、あまり合わなかったです。面白いと思う部分もありましたが。


こうなると、途中からゆっくり想像しながら読むのが面倒になり、ついつい字面だけを追ってしまいがちですが、先に書いた可能性を考え読み飛ばさないようにしました。


その後、学友数名と教授でこの本について議論した時に、自分が読んだ時には気づけなかった観点がいくつもある事を知らされました。





「生兵法は大怪我のもと」と言いますが、逆に少し知ってただけで得をした事もあります。契約の時とか特に……何度も実利を得てます。


では速読をどの程度のラインで使うか否かを判断すればいいかという話になると思います。


僕の意見は「頭の回転の速さ」です。


ある教授は60歳になりますが、もう話してて自分が悲しくなるぐらい記憶力がいいし、頭の回転が速いです。


そして週に何冊も読んでらっしゃいますが、非常に深い考察をされています。


でも教授は僕が今まで読んだ数の100倍以上の本を既に読まれています。


そういえば僕も昔より知らない語句が減って、理解するのが早くなりました。


本を読むスピードが速くなっているんです。今まで読んだ数の100倍ぐらい読めば、もしかしたら教授のようなスピードで読めるようになるかもしれません。


つまり速読とはするものではなく、なるものだと考えています。





1 件のコメント:

  1. >速読の背景
    おー、それは確かにそうかも。急がば回れだと思うけどねぇ。

    速読マスターは確かに見たこと無いなぁ・・・

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