第1回経済学部・夜間主コース学生会協議会に提出予定の資料を作りました。
3時間もかかったわ。疲れた。ドキュメンテーション能力低過ぎわろた。これで30近いってどんだけゴミだよ。
うそうそ俺すげーわ。あーあーあー。
・動機付け
今後必然的に減少するであろう労働人口に対し、個々人の能力を高める事でのみ日本経済を維持する事が出来る。
その社会人に対する教育機関には様々なものがあるが、本流として大学の社会人コースがあり、夜間主コースが担う重責は何としても果たす必要がある。
よって、我々の活動が今後の日本経済を左右する……というのは大げさだが、そのうちの1%ほどを左右するであろうという考えは、決して見当外れではないと考えている。
だめだなー。右翼くせーなーw
まーでもさ、人数×能力=国力って図式は1億ぐらいの規模になると平均化されて、モデルとしてはだいたい合ってる感じがするよね。そっから更に仮説を立てると、そんなに変な事は言ってない気がするんだけど駄目ですかね。
・何を目指す
すみません、手元に『世に棲む日々』あるんですけど面倒なんで、ここのブログから拝借。
革命の条件
司馬遼太郎は「世に棲む日々」の中で革命が起こるためには3段階の過程が必要だと述べている。 まず革命の初動期には思想家が現れ、「偏癖」の行動をとって、世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。これが吉田松陰にあたる。革命の中期には卓抜な行動家が現れ、奇策縦横の行動をとって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本龍馬がこれにあたる。これらの多くも死ぬ。次にそれらの果実を採って先駆者の理想を容赦なく捨て、処理可能なかたちで革命の世をつくり、おおいに栄達する。伊藤博文がこれにあたる。松蔭の松下村塾は世界的に見ても極めてまれなことに、この3種類の人間群を備えることが出来た。そこに明治維新の成功がある。
3段階のうち、1と2の間、或いは両方に属した者と言えば武市半平太だろう。
武市半平太は松陰先生以上に厳しい状況から革命を起こそうとした。思想家としては松蔭先生に劣り、実行力と言う点では高杉晋作や竜馬に劣るかもしれないが、美しさという点では断トツだと思う。
土方の「男の一生というものは美しさを作るためのものだ」という言葉を借りると、僕は武市半平太を目指したい。性に合っている。問題提起だけでも出来ればと思う。あ、大学でね。大げさに言うとだよ。
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