表題の前に一言。
10月に大学の社会人受験を目指している私としては、受験科目である小論文の勉強をしなければいけません。
その一環としてこれから毎日ブログを更新しようと思います。
良い文章を書くためにはよく書き、よく読む事が重要であるといくつかの本から学びましたし、それが理解出来るからです。
3日坊主になりませんように…。つか、せめて3日は続きますように…。
さて、先日日記に書いたA社の新人君がいます。
何故か私がその新人君の教育担当になりました。
え??
俺社員でも何でもないし、まだここ来て3ヶ月しか経ってないんすけど…
それ以上に下記の理由により、私が教育担当となる事はA社にとって望ましい事ではないと、A社のちょっと偉い人に提言しました。
まず一つ目。教育というのは教えられる側と教えられる側双方にとってチャンスであることです。
人に何かを教える、人から何かを教わるという行動は日常的に発生していますが、教育という名目になるとあまり機会はありません。
もちろん学校の先生とかやってる人は別ですよ。
教える側は完璧な理解を要求されるので復習などをせざる得ませんし、教わる側も勿論努力します。
こういった繰り返しにより、教わる側が得られる知識、経験を6だとすると、教える側も4ぐらいの経験を得られると考えます。
「教育工数を捻出出来ないから、貴方に頼みたい」というのは、教育を負担としか捕らえられていない発言です。
教育する側は復習になる以外にも、責任感が培われたり、コミュニケーションを工夫したり、普段あまり使わない力を伸ばそうと努力します。
本来こういう力は機会に頼らず養わなければならないものですが、独学よりも実際に体験して学ぶ事の方が多く、実践的で理解が早かったりもします。
よって、教える側にとっても貴重な経験となるわけです。
その他にも「新人教育(名実共にOJT)は若手の仕事」という点のメリットを何点か挙げて説得しましたが、どうにも業務状況が酷い有様なのでやむをえないとの事でした。
まぁ、私としてはこういう経験は貴重で有意義なもので、特に一匹狼としては経験できないだろうと諦めていたぐらいのタスクなので、喜んで引き受けるわけですが…。
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